植民地期台湾における青年団と地域の変容

本文發表於 2008 年 09 月 09 日 15:19

seiko22.JPG20080830禮拜六我們夫妻與女兒在永康街呂さん餐廳請文化人類学者宮崎聖子博士吃飯,而在隔壁桌就是台灣大學圖書館特藏室編審洪淑芬小姐,她是狄卜賽文書捐贈台灣大學圖書館特藏室代表窗口,是狄卜賽文書case的靈魂人物。她負責將文件發包scan以及11捲影帶轉成數位DVD檔。對狄卜賽文書的保存,功不可沒。她還是很熱心的圖書館服務員。

有關後來,狄卜賽文書台灣公開典禮會弄得很難看,基本上不是她過錯,另有かみさま、像廟公、Dr.孫、Dr.胡聯手才有那樣遮天本領。她是代罪羔羊,幫我拍攝底下那張寫真,在此還是要感謝她。

宮崎聖子博士是文化人類学者,但不是戰前的人類學家,戰前的人類學家我寫成「人淚學家」,所有的原住民遇到這樣的專家,非流淚不可,他們是幫助殖民者工作的學者,也是《東方主義》Orientalism 這本書所描述的學者。Said告訴我們,如何從殖民主義所營造漫天之網逃脫並且加以反抗、獨立出來。這是非常困難的文化運動,希望能成為關心台灣文化運動的朋友們共同的志業。

 

宮崎樣御茶の水女子大学,常來台灣做田野調查,921大地震時,她還前往中寮參加救災活動,在困難的環境工作。在寫論文時,她是以堅毅與努力,完成論文寫作得到博士學位。2008年她的博士論文出版,今年她特地來台,送書給她的訪問人、教授、朋友等。

《植民地期台湾における青年団と地域の変容》の『あとがき』377頁ある

思い返すと、1987年に初めて台湾に旅行した際、乗った路線バスに大音量で流れていた日本語と台湾語の演歌――当時台湾に「演歌」に当るカテゴリが存在したかどうかは不明だが――は、私にとって大きなカルチャーショック(culture shock)だった。当時の私には、台湾について、アメリカの人類学者ウルフ夫妻の本を読んだ程度の知識しかなかったからである。「これは何? なぜ日本語? なぜ演歌調?」という問いが、本研究の一つ目の「種」となった。そして、大学院修士課程においてフィールドワーク(fieldwork)を行った日本の農山村で青年団の方々と出会ったことが、本研究の二つ目の「種」だったように思う。その町の青年団員の多くは、町おこしに関わっていた地域の中堅層で、消防活動も担当していた。

這段話告訴我們,她在台灣聽到「日語或台語的演歌」,讓她culture shock,基本上,在台灣流行的昭和歌曲,在日本已經沒有人唱,牽引她去作台灣研究。如有人想讀此書,請向我借(要還),還要負責寫一篇評論。 《植民地期台湾における青年団と地域の変容》宮崎聖子/著 御茶の水書房 2008年3月。

目次

序論 植民地政策としての青年団への分析視角
第1章 地方指導者に対する教化―一九一〇年代
第2章 官製青年会と抗日的青年団体の抗争―一九二〇年代
第3章 総督府による青年団統制と「篤農家」の養成―一九三〇‐三五年
第4章 台湾人地方指導者の政治的後退と「海外工作」尖兵の養成―一九三五‐三八年
第5章 団員の中下層化と青年団における日本人支配―一九三九‐四二年
第6章 青年団の皇民奉公会移管と青年の管理機関化―一九四三‐一九四五年

論文

宮崎聖子 2001「台湾における抗日運動の主体形成と〈青年〉概念― 1920-24年を中心に」『現代台湾研究』第21号台湾史研究會pp104-123

宮崎聖子 2003「植民地期台湾における女性のエイジィンシーに関する一考察―台北州A街の処女会の事例」『ジィンダ一研究』6号お茶の水女子大学ジィンダ一研究研究センターpp85-108

宮崎聖子 2004「植民地期台湾における女子青年団の展開過程(1931-1935年)」『ジィンダ一研究』 7号東海ジィンダ一研究所 pp.69- 91

宮崎聖子 2005 「植民地支配下の台湾におけるジィンダ一再編 ― 女子青年団(1936-1941年)を事例に」『F-GENSジャーナル』4号お茶の水女子大学21世紀COEプログラムジィンダ一研究のフロンテイアpp55-60

宮崎聖子 2005「日本の高齡男性における〈暴力〉観の諸相と女性に対する暴力」『国際ジィンダ一学会誌』第3号pp.89-110

宮崎聖子 2007 「「內台共婚」と植民地における台湾人女子青年団の位置づけ」『南島史學』70号pp83 -97

出版書籍

宮崎聖子 2005「植民地台湾の処女会をめぐるジィンダ一·植民地主義·民族主義」原ひろ子監修、「原ゼミの会」編集委員会編 《ジィンダ一研究が拓く地平》文化書房博文社 東京pp157-172

楊南郡著,笠原政治、宮岡真央子、宮崎聖子編訳 2005 《幻の人類学者森丑之助》風響社,東京。

宮崎聖子 2006 「元台湾人特別志願兵における「植民地経験」」五十嵐真子·三尾裕子編《戦後台湾における〈日本〉―植民地經驗の連続·变貌利用》風響社,東京 pp61-92

宮崎聖子 2008《植民地期台湾における青年団と地域の変容》御茶の水書房,377頁(本文)+117頁(資料参考文献)。

14 回應 針對 “植民地期台湾における青年団と地域の変容”

  1. 陳凱劭 寫道:

    把宮崎聖子さん的兩本著作,加上了 http://www.amazon.jp 的購書聯結了。

    原來宮崎さん翻譯過楊南郡先生寫的森丑之助傳記。

    我所知的日本時代台灣人類學者(我比較熟悉的,偏日本時代末期),例如我們的祖師爺千々岩助太郎(1897-1991)、金關丈夫、國分直一、宮本延人等等,這些雖都是日本植民政權的成員,但都是人道主義者,有多元族群的概念。

    這些人類學家,骨子裡是反對「皇民化」運動的,不過從他們大東亞戰爭時期的著作文章裡,可以發現,他們偷偷地利用「皇民化」、「南進」的大時代潮流,先求自保,再獲得公共資源,實際上卻是在進行台灣少數民族文化的保存與研究!

    多元族群概念一直到最近二十年,才與「生物多樣性」一樣成為人類的普世價值,而這些學者早在七、八十年前就有這種進步觀念了。

  2. Aileen 寫道:

    受教了!謝謝~

  3. 寫道:

    前輩您好~日前在老師網頁見您對祖譜的研究發文,想請教是否有網站可搜尋,懇請前輩指引,萬分感激!

  4. 三田裕次@広島 寫道:

    這一本書、也送到呉三連台湾史料基金会。
    不是我的「守備範囲」、但、一読後若干のコメントをすると著者に約束したが、広島で緊急事態発生のため、約束を果たせず、遺憾。

  5. 三田裕次@広島 寫道:

    後藤文雄是「青年団欧吉桑」、但し以下の本の中には台湾の青年団との関わりに関する記述はなかったと記憶。
    0803後藤文夫-人格の統制から国家社会の統制へ/中村宗悦/日本経済評論社 2,625
    この本も呉三連基金会に送付済み。

  6. 林炳炎 寫道:

    先回答英さん:

    臺灣尋根網

    臺灣族譜資訊服務網加值應用之研究

    演講題目:台灣族譜的史料價值

    其次請三田裕次樣,能否將「一読後若干のコメント」、放在此次, 讓大家了解您的觀點與看法(等您回東京有空再做吧)!!由於每一個研究者都會有盲點與偏好, 只有透過這樣的互相交談, 來提升研究的水準與範圍.因這不是我的「守備範囲」、已經商請朋友寫コメント!!!

  7. 三田裕次@広島 寫道:

    >等您回東京有空再做吧

    我已決定以後在広島継続処理「我家的各種事情」。
    両三個月一次去東京之予定因為我要去医院(肝機能方面&精神科方面)。

  8. 寫道:

    前輩您好~很困擾的是……我家的姓氏,不在那百家姓其中~謝謝您提供的資料,謝謝~

  9. 林炳炎 寫道:

    《紅毛土技術史在台灣 》中的序『巫術與技術』,我如此談「昭和歌謠」與「カラオケ」在台灣。

    有一衡量台灣文化現象的指標是台灣庶民之カラオケ活動。想從幾個我接觸的例子說明:有一次在高雄國光號汽車上聽到車上收音機放送聽眾在カラオケ節目唱戰爭期日本軍歌。台南有一同事,為了愉悅父親,將昭和歌謠カラオケ節目轉成DVD,歌詞重打、漢字並注平假名,送好友回家高歌。台北有幾個講台語的放送台(廣播電台)常常放送昭和歌謠,甚至於作為台聲(代表放送台之聲音)。經常騎自轉車在新店溪淡水河之自行車道運動,靠台北側經常有6~8處カラオケ站,這些庶民把カラオケ機器、發電機、汽車、椅子等組合成カラオケ站,高興的話,你也可以加入歡唱一曲。他們唱的歌大部分是台語歌謠與昭和歌謠,當然也會有北京語歌謠。曾經多次前往日本觀光,發現台灣人唱的日語歌,現在的日本人根本不唱。戰後已經60年了,這樣的台日文化現象代表什麼意義?日本不但進入戰後同時也已經進入「後昭和時代」;台灣人卻強硬的死抱著「戰前」不肯放,更不要說「脫昭和時代」。這樣行為的背後,其社會心理學之解釋顯示台灣人潛意識裡想要用日本去抵抗在台灣的殖民統治。這是值得大家去研究及深思的課題。

  10. 林炳炎 寫道:

    五十嵐真子•三尾裕子編《戦後台湾における〈日本〉―植民地經驗の連続•变貌利用》風響社,東京。

    ●目次
    はじめに                〈五十嵐真子〉
    日本統治時代と国民党統治時代に跨って生きた台湾人の日本観     〈蔡錦堂(水口拓寿訳)〉
    元台湾人特別志願兵における「植民地経験」 〈宮崎聖子〉
    二つの「日本」──客家民系を中心とする台湾人の「日本」意識             〈堀江俊一〉
    植民地台湾における高等女学校生の「日本」──植民地の生活文化に関する一試論     〈植野弘子〉
    台湾先住民アミの出稼ぎにみる植民地経験──遠洋漁業と日本語            〈西村一之〉
    自画像形成の道具としての「日本語」    〈上水流久彦〉
    戦後台湾抗日運動史の構築──羅福星の革命事績を中心に  〈何義麟(北沢道子訳)〉
    真宗大谷派台北別院の「戦後」──台湾における日本仏教へのイメージ形成に関する一考察    〈松金公正〉
    戦後台湾における所謂塔式墓の系譜とその認識──無意識の中の「日本」のかたち     〈角南聡一郎〉
    後書き                    〈三尾裕子〉

  11. 三田裕次@広島 寫道:

    >五十嵐真子•三尾裕子編《戦後台湾における〈日本〉―植民地經驗の連続•变貌利用》風響社,東京。

    這一本書也已送到呉三連台湾史料基金会(一般書架)。

  12. 王雅萍 寫道:

    炳炎senbai+sensei 平安 :

    在趕論文
    很久沒上網看部落格了
    今天發現這篇文章
    可以引用你這段文字到台灣民族史的課堂上使用嗎?

    王雅萍

  13. 林炳炎 寫道:

    王老師:

    非常歡迎!!
    哈哈我的文字用到課堂上, 這是求之不得啦!!
    如果學生上網, 表明她/他是學生, 跟我要贈品, 我會送 台灣經驗的開端—台灣電力株式會社發展史 1本, 只是她/他要自己來拿!!

  14. 林炳炎 寫道:

    今天中午前往台大圖書館, 在椰林大道看到廟公正與一群學生走在一起, 臉實在擺不出笑容, 手又好像萬斤重, 他先舉手微笑, 只好勉強抬手打招呼, 學生群中正好有認識的朋友, 還停下來聊天!!

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