近況紹介

本文發表於 2007 年 08 月 23 日 11:39

国家科学委員会は、台湾民主紀念館(もと介石廟)に8月3日登場した「2007科学フェア:科技台湾驚嘆号」特設展では台湾製造王国勝利のポイントを回顧し、同時にユニークで様々なテクノロジーを展示し、人々は先を争ってこれを体験した、と報じました。私は昨年10月、清華大学の吳泉源教授の依頼に応じ、電力水利建設の基礎の事項を担当することになっていました。しかし頭部の手術を受けたため、友人の黃智偉氏にお願いし、その部分を担当して頂きました。この種の展示会は、展示項目が多いのに空間が限られていたため、文字数は数千字のところを数百字に縮小し、展示できた人物画像などもまた縮小せざるを得ませんでした。

劉銘伝の電灯について述べた部分は、タイトルが「州官点灯(お役人の電気事業)」です。これは「只准州官放火,不准百姓点燈(官吏の放火は咎められないのに、庶民は明かりを点すのさえ禁止される)」という清時代の諺をもじって、植民地長官(台湾史は植民地統治史です)の暴政を表したものです。台湾語の七文字「欽差已経点燈火、電火点来較光月。(お役人が火を点した、電気の灯は月より明るい)」で、この電気事業は莫大な費用を要したためすぐに消失してしまったとしています。しかしこれらのちょっとした字句に校正担当者が怒って、原稿を訂正してしまいました。ただ私も省エネ型の電灯ではないので、負けてはいません。校正担当者に対し、原作者のアイデアに失礼なことをするな、でなければ清帝国部分をすべて削除せよ、と迫りました。主催者は、しょうがなく校正担当者を交代させたのです。

日本時代に関しては、台湾電力の創立と高木友枝博士、日月潭水力発電所についてのみ論述しました。高木博士の台湾電力や台湾における医療・学術に対する貢献について書き、黄土水氏によって1929年に作製された彼の塑像写真を20枚ほど提供しています。

戦後の部分は文字だけです。しかし「台湾生まれ・台湾育ちの黒手—高金煌」(「黒手」とは台湾語で機械を設置する技師をさします)を提示して、戦後の人物を代表させました。彼は1929年生まれ、公学校と高等科を卒業し、その後学校の先生の紹介で台電従業員養成所に入りました。その後、本社で働き、早めに退職しました。後に縁あって台湾中鋼の高炉や水力発電所の取り付け作業に従事、うち水力発電所の装置容量は260万KW以上となります。これを凌ぐ人はなかなかいないでしょう。

以上のように、私はいつも公開の場での展示では、台湾人に言及し、台湾語を使用するようにしています。

5月17日は台湾大学図書館でV. S.デ・ボース映像の公開式典を行いました。これも私にとって今年の一大テーマでした。

今年の2つのテーマに関わっていましたが、私はまた家父のモスクワ東方大学と日本共産党における工作に関する研究に戻ってまいりました。しかし2年来の進み具合は遅く、ほとんどモスクワの泥のぬかるみにはまっています。資料を入手しましたら、皆様に詳しいご報告をいたします。(宮崎聖子訳)

13 回應 針對 “近況紹介”

  1. 鉑鎂鑼 寫道:

    感心しました。
    体をお大事に!

  2. kensyu 寫道:

    陳學長辛苦了
    一個早上讀了幾篇林炳炎學長的文章
    真是太棒了

    在這一篇學到了一句日文
    ただ私も省エネ型の電灯ではないので、負けてはいません。
    (只因我也不是省油的燈,不會輸給他的)

    ^^

  3. 陳凱劭 寫道:

    跟林炳炎學長介紹一下

    「鉑鎂鑼」網友畢業於名校早稻田大學,是李梅樹教授外孫,李梅樹教授1929年在日本東京美術學校就學時,就常去找台籍的學長黃土水先生聚會,所以他阿公應該見過您提到的高木友枝博士的胸像剛做好的情形,李梅樹在台灣應該也聽過高木博士大名。1930黃土水先生突然因病過世時,李梅樹、郭柏川(您的老師)等留日學藝術的台灣人晚輩,有去幫忙辦黃土水後事。而黃土水的「高木友枝博士胸像」,有在台北舉辦的「黃土水遺作展」展出,說不定就是李梅樹、郭柏川他們幫忙帶回來,並協助在台灣展出的。

    kensyu 網友目前在東京大學博士班深造,也是我們成大建築系畢業的學弟,您若有史料尋找的問題,台灣建材技術史的問題,也可以請這位學弟幫忙。

  4. 林炳炎 寫道:

    翻譯者宮崎聖子博士是御茶水女子大學畢業,她在台灣做資料收集時,我常拜託她做翻譯,知道我的用語與氣持,所以翻譯得很好.我會把宮崎樣所拍的高木友枝博士的胸像做一主題,貼出來,讓想研究的人有機會去茗荷谷拜訪高木的外孫.

  5. 林炳炎 寫道:

    上面5張寫真是友意國際藝術 Unison Art Association黃秉歆小姐所拍攝,要謝謝她的幫忙!!

    她是今年2007科學季企劃執行,我們都算2007科學季展的工作夥伴.

    請kensyu さん在上藤森照信博士的課時,替我請安挨拶.相信他已忘記我是誰,但他很樂意接見我並撥出時間接受我的請問,
    讓我印象深刻!雖然出版後有贈送一本書給他,但沒有機會再次見面!!我對以前他在六本木的研究室印象深刻!!

  6. kensyu 寫道:

    林炳炎 學長您好

    上藤森老師的建築史課程是好久的事了(博一時)
    我現在已經畢業了
    不過人還在東京
    如遇到藤森老師我會代學長跟他問好請安

    kensyu

  7. 林炳炎 寫道:

    想了很久,還是決定把送我的潤稿員的傑作貼出來,她自己的錯別字,不知道要請誰來修改?她基本上帶有濃厚的殖民主義心態,她可能對台灣史非常不了解,在清帝國殖民台灣時,台灣使用的語言是台語,客語,原住民語,以台語七字調來形容州官點火,表示作者很用功,才能找到那麼恰當的用語.

    由於我讀薩伊德的東方主義5次以上,所以對殖民主義心態很敏感.殖民主義心態對被殖民者的語言恨之入骨,因為這才能抵抗殖民主義.

  8. 林炳炎 寫道:

    20080518參加在豐原舉行的入厝與娶媳婦大宴會

    接到湛董事長的電話,牽手就回答,「一定會去。」

    20080518早上七點就出門,順利的買到豐原的自強號車票,10點就到豐原驛,開車來接的是班長黑馬,已退休的訓導主任,現在過著種盆栽的悠閒生活。

    今天是大喜日子,湛董事長舉行的入厝與娶媳婦大宴會,他們都是我們夫婦36年前在大甲私立高職的學生們,為同學的喜事而聚會,也算同學會。

    當然先參觀新居,美輪美奐的別墅型新建築,座落在鬧市邊僻靜之地,學校就在不遠的西邊。大宴會場就在學校的操場,有警察在維持交通次序。

    哇!席開158桌,幾乎網羅豐原方圓30公里的客人。在席上,有人邀請宴會後去看看他們家,班長黑馬要我們去看他的松樹盆栽,偉凌工業的林董事長要我們夫婦去彰化看他們的特殊新產品。大安黃董的不鏽鋼產品是銷歐洲德國。竹山劉董的產品…大甲林董..

    妳想身體彩繪嗎?找Colored Drawing Enterprise Co., Ltd.就對了。

    在彰化真的讓我大開眼界。依據研究,中小企業的生命週期是12年,從高職機工科畢業所開創的事業事是中小企業,通常在第一輪就有不少改變軌道,而從企業退出,到第二輪存活就更少,能邁進第三輪都是有特異功能的公司,它們的產品具有特殊性或與時代脈動同步。

  9. Yoshioka Ikuro 寫道:

    日月譚の水力発電所建設の事に興味を持ち索引していて当Blogを拝見させて頂きました。
    とても興味深い内容です。

    吉岡生朗 
    921地震当時は台中の現地法人に勤めて居りましたが 翌年退職
    昨年より 台中市に戻って現在 台中の大学で中国語勉強中です。

  10. 林炳炎 寫道:

    吉岡生朗さん
    大変ありがとうございました。
    このBlogは日本時代の水力発電所建設の事。
    日本と台湾の関係を関心する。

  11. Yoshioka Ikuro 寫道:

    林先生
    早速のお返事有難うございました。
    去る10月3日に大学の中国語クラスから日月潭に遠足に行きました。
    それで日本の皆さんに私のblogで「日月譚は湖の北東部が太陽、西南部が三日月の形をしていたので日月潭と謂われる」と紹介した所 ある人から衛星画像で見たらけどそんな形状をしていないと言われました。 それで調べたら1935年に大観発電所建設して日月潭を貯水ダムにしたため湖面が上昇して形状が変わったのだろうと推定しております。
    それから当時の発電所の建設がどのように行われたかにとても興味を持っています。
    林先生は今草屯にお住いですか?
    吉岡生朗 拝

  12. 林炳炎 寫道:

    吉岡さん
    最近大変いそがしです。吉岡さんのblogで「日月潭は湖の北東部が太陽、西南部が三日月の形をしていたので日月潭と謂われる」良いですよ。この日月潭第一発電所(門牌潭発電所。門牌潭は台湾語の墓牌潭です。今、大観発電所です。)1934年発電する。湖面が上昇して70尺(21m)。上昇形状が変わったの4回です。私の資料內は日月潭の彩色地図はあります。草屯は私の故鄉です、今、台北に住んで。

  13. Yoshioka Ikuro 寫道:

    林先生
     了解です いろいろ有難うございました。
    今後ともよろしくお願い致します。
    吉岡生朗 拝

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