台湾電力の神社(3)――門牌潭水力発電所の日月社
本文發表於 2007 年 12 月 05 日 11:09日月社は門牌潭發電所( 日月潭第一發電所 )の前面社宅內敷地內の高地に發電所工事の守護神として左の三体の神を祭祀せるものである。大山 祇神(オホヤマ ミスノカミ) 水波能賣神(ミズハノメノカミ)大雷神(オホイカチノカミ) (以上是《日月潭水力電氣工事誌》內の文字)
《日月潭水力電氣工事誌》
寫e-mail給広島出生,目前家住東京的三田裕次樣,他說這是他奥さん出生地的神,以下是三田樣回答e-mail的一部分:
大山祇神(おおやまづみのかみ)
大山祇神(おおやまづみのかみ)は日本全国の山を管理する総責任者です。全国約1万社といわれる山祇神社にお祭りされていますが、その中心は、瀬戸内海の大三島に御鎮座する大山祇神社です。山の神、武神、とあとひとつのこの神の性格は、実は酒神としてのものです。
水波能売神(みづはのめのかみ)
古事記では弥都波能売神(みづはのめのかみ)、日本書紀では罔象女神(みつはのめのかみ)と表記、神社の祭神としては水波能売命などとも表記され、淤加美神とともに、日本における代表的な水の神(水神)であります。灌漑用水の神、井戸の神として信仰され、祈雨、止雨の神得があるとされます。
大雷神(おおいかづちのかみ)
火の神の迦具土神を生む時に死んだ伊邪那美命を追って、夫である伊邪那岐命が黄泉国へ行ったところ、時既に遅く伊邪那美命の体はウジがたかり、頭には大雷、胸には火雷、腹には黒雷、陰部には柝雷、左手には若雷、右手には土雷、左足には鳴雷、右手には伏雷が生まれていました。
これは、死霊の祟りのおそれを誇張し表現したものであろうと思われます。雷神を恐るべき悪神としたのは、電光落雷の災害と、さらに雷鳴の恐怖観念から来ているものと考えられます。
神名の意味は雷のイカは厳の義、ツチはツの助詞、チは大蛇(おろち)、蛇(みづち)のチで、大という威力の盛んな美称を添えて、八雷神のはじめの神としたのであろうと思われます。大雷を祀る主な神社として雲気神社(香川県善通寺市)などがあります。
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2016年7月27日增加1973年的空照圖與空照圖的解說。讓日月社的位置更加清楚。
到底日月社何時興建?以「門牌潭」與 「神社」《臺灣日日新報》檢索,可以得到:1935-02-09 門牌潭神社鎭座式。
門牌潭神社就是日月社。
2013年8月辻原万規彦博士 (熊本縣立大学環境共生學部)曾在國立臺灣師範大學地理學系演講:製糖工業社宅街。讓我手癢。在六燃不是用工業社宅街,而是工廠地帶與福利地帶(社宅街)。
空照圖的放大,足以說明,原來辦公室的地方,現為新131公路與電廠的新入口。
這張1973年的空照圖,可以讓我們看到,日月潭第一發電所的社宅街,紅色隧道是我加的。可以告訴我們一些故事,也許還能指出日月神社的位置。總算讓我知道,台灣電力官方報告說:「日月神社的位置在構內。」、「日月社は門牌潭發電所の前面社宅內敷地內の高地に發電所工事の守護神として左の三体の神を祭祀せるものである。」以前,無法了解。
1935年的建設「日月社」,也就是1980年代「土地公廟」。
2007-12-05, 4:24 下午
大蛇(おろり)=>大蛇(おろち)
2007-12-08, 2:20 上午
>他說這是他奥さん出生地的神・・・
不正確。我内人是宮島(厳島神社)系統。
上述記事是国学院大学(神道系大学)卒業生(考古学専攻)送給我的。
為参考、他二十幾年前来台湾、要翻訳宋文薫先生的考古学論文、阮一起「開夜車」、我口頭上翻訳(中文→日文)他筆記。
大山祇神社在瀬戸内海大三島(おおみしま)是我母親之系統(伝承)。我母親娘家的「男紋(おとこもん)」和大山祇神社的紋章一様。
2010-04-10, 3:42 下午
久不訪問著。
本月末或下月初預定著去這個發電站的。
這個神社如果知道是不是在哪邊請告訴
2010-04-11, 7:52 上午
哈哈!!我們一起去, 但你要提供車子!!
我可以給你一過個美麗的日月潭濁水溪回憶!!
2010-04-11, 8:47 下午
林先生
聯絡謝謝。那麼,在門牌潭和武界的2處教友適當地請求。我想日程性從5月2日開始4日之間左右變成。
再者,聽說著門牌潭發電站只星期二和星期日被解開。
這個以後想用郵件交換想。
2016-07-27, 8:30 上午
2016年7月27日增加1973年的空照圖與空照圖的解說。讓日月社的位置更加清楚。
2020-03-03, 12:34 下午
日月社的正確位置
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