猟犬、大倉土木株式会社與門牌潭發電所

本文發表於 2009 年 07 月 24 日 15:12

nichigatsu123.JPG民間版的《台灣電力日月潭工事紀念寫真帖》就是不同。民版的承攬會社大多以台北或東京本社作為寫真帖第一張,大倉土木不同,也許是門牌潭主任上山善司與眾不同吧。

ポインター(pointer、猟犬),犬の一品種。英国原産の代表的な中形猟犬。短毛、垂れ耳で、白地に橙・黒などの斑がある。獲物をかぎ当てると立ち止まり、獲物の方向に鼻先を向けて指し示す姿勢をとる。也就是:能站住用鼻尖指示獵獲物所在處的獵狗。寫真上德逸是德意志的意思,也許是從德意志來的猟犬。

大倉土木株式會社作業所門牌潭主任上山善司氏全身,犬は獨逸犬ポインター。這在官方版日月潭工事紀念寫真帖不可能出現的。正如古典音樂不會出現Jazz一樣。

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 以前日本的營造業大都稱□□組,如鹿島組、高石組。但大倉很早就稱為「大倉土木株式會社」,而不叫「大倉組」(大倉組1873成立、大倉土木株式會社1917年、大成建設1946年)。戰後,佔領軍強迫日本人將□□組廢棄,鹿島組就改稱「鹿島建設」,「大倉土木株式會社」改名「大成建設」。但關西人比較有GUTS ,不理佔領軍的屁話,照樣使用「大林組」。

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大倉土木株式會社作業所員 (上山善司主任得坐姿值得比較)

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電力會社門牌潭第四監督區詰所執務ノ景(業主的監督們)

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大倉土木株式會社門牌潭作業所執務ノ景 (帶眼睛的上山善司主任很容易認出)

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大倉組七工區請負鐵管路–門牌潭酒井鐵工所(大倉的分包商)

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大倉土木作業所上部索道ノ曲所

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秡賭寮ノ水槽(壯觀的平壓塔,建設部長新井榮吉博士的專利)

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施工中的門牌潭發電所

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 竣工時的門牌潭發電所

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2008年底的門牌潭發電所

大倉喜八郎與東京経済大学:大倉商業学校(1900)、大倉経済専門学校と改称(1944)、然後東京経済大学(1949)是大倉喜八郎所創,大倉喜八郎(1837~1928年)現在潟県新発田市出生。1873年他創下大倉組商会、參與東京電燈、帝国ホテル等企業設立而就任役員(董事)。1917年他旗下有持股合名会社大倉組有大倉商事、大倉土木(大成建設)大倉鉱業3社而被稱為大倉財團。由於他在1894~5配合軍方,所以在台灣取得土木營造業龍頭之機緣,縱貫鐵路也是大倉組參加的工程。

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 大倉土木株式會社承攬門牌潭發電所,個人認為是日月潭計畫中最重要而核心工程,技術內容最集中的工程。921大地震就是證明這工程耐得住嚴苛的考驗。秡賭寮的平壓塔、壓力鋼管、發電所廠房都代表那時亞洲技術競賽的茅頭。請大家注意屋頂桁架有一半以混凝土填充加固,一半沒有,這樣不對稱的結構是耐震的弱點,不知當時的考慮是什麼?工期問題嗎?留給網上朋友解答。

11 回應 針對 “猟犬、大倉土木株式会社與門牌潭發電所”

  1. 葉雪淳 寫道:
    Mngbaitam 門牌潭發電所

  2. 三田裕次@広島 寫道:

    好久不見。

    >戰後,佔領軍強迫日本人將□□組廢棄,鹿島組就改稱「鹿島建設」,「大倉土木株式會社」改名「大成建設」。但關西人比較有GUTS ,不理佔領軍的屁話,照樣使用「大林組」。

    誰説?

    かなり信憑性が高いと思われる書籍(小野一成『鹿島建設の歩み-人が事業であった頃』鹿島出版会、1989年)の記述は概略以下の通り。

    1.昭和22年12月26日、株式会社鹿島組は定款を変更し、社名を鹿島建設株式会社とした。

    2.改称にはかなりの抵抗があったが、業界の地位向上のためには近代的な商号であった方が良いといった事情から、大手業者を中心に改称しなければいけないのは時の勢いであった。

    3.昭和21年、大倉土木組が財閥解体により「大成建設」となったのを始め、22年暮に鹿島、翌年三月に清水が「組」を改めた。以下この前後には改称が多い。古めかしいマイナスイメージを改めるのにはいくらか貢献したと言えよう。

    ====
    要するに、「”組→建設”はGHQ(連合軍司令部)の強要」は不能証明。なお、台湾で比較的有名な「熊谷組」も改称せず。因みに現存する世界で一番古い企業「金剛組(こんごうぐみ)」(578年創業)もそのまま。

  3. よろい 寫道:

    林さん
    今日は、ちょっと次の資料をご提供致します。ご参考下さいませ。
    組が建設に変わったのは
    戦後、関東の土木建築業の「組」が「建設」に変わったのは、進駐軍からの暴力団とまぎらわしいので変更せよとの指示があったためといわれている。最初に大成建設(昭和二一年)、続いて鹿島建設(昭和二二年、現鹿島)、清水建設、西松建設(昭和二二年)などが次ゝと改称した。大阪が本拠の大林組、銭高組、鴻池組などは、そのまま今日にいたっている。ちなみに建設の名称を使用した「建設省」の発足は、昭和二三年であった。
    長門 昇&(株)建設経営サービス著  よくわかる建設業界  日本実業出版社 2007.6.1第3刷 p.74 より

  4. 三田裕次@広島 寫道:

    林さん

    以前から繰り返しその他の事項でも提言していますが、貴記事で「組→建設」がそんなに重要なことなのですか?
    無用(不必要)なことは書かない方が良いですよ。

    私が「信憑性が高い」と言ったのは、私が引用した本の著者小林一成氏は鹿島の一族であると同時に、歴史研究に関する専門的教育訓練を受けている(近代生活文化史及び建設産業史専攻)。

    そんな無意味(無駄)なことを書くよりも、一、二行で良いから、例えば鹿島組が台湾の縦貫鉄道の建設に関与したことや大倉喜八郎に関する書籍(例えば息子(庶子)が書いた『鯰』など)に触れておく方が遥かに意味があるでしょう。大倉喜八郎及び大倉財閥に関する本も数点台湾に送ってあります(呉三連基金会と政治大学台湾史研究所「三田文庫」に分かれてしまいましたが)。

    参考までに東京自宅には大量の建築史関連書籍がありますが(息子の専門の関係から)、これ以上の調査はしません(台湾史とは無関係なので)。

  5. 林炳炎 寫道:

    非常感謝三田裕次樣提出指正

    由於「組→建設」與戰後進駐軍時期是一致的, 再加上聽人一說, 很容易信以為真.(我沒有去作逐一比對而寫是非常不負責任, 下筆要謹慎)

    我在做紅毛土技術史時, 就發現進駐軍以落後的美國規範強制日本採用, 為此我考察比較世界各國規範, 發現進駐軍的荒謬而寫入拙作.

    對於「組→建設」的改變歷史需要花時間去查資料, 也許應該比對重要營造業的變更情形!!

  6. 三田裕次@広島 寫道:

    <参考>

    戦後の所謂「財閥解体」は有個方面非常厳格。

    例えば(関係文献は政治大学「三田文庫」に送付済みのため記憶ですが)、三井財閥は「三井」の名称は厳禁。
    三菱も同様と記憶。

    一方、例えば大建産業は「財閥解体」後は伊藤忠(伊藤忠兵衛)、丸紅(伊藤丸紅商店)など、以前の名称を使っています。

    ====
    なお、建設会社の昔の名称「組」は黒社会とは無関係、「組」の前は「方(かた)」等を使っていたようです。例えば「鹿島方」。また、荷役会社で今でも「組」を使っているところもあります。例えば「上組」。

  7. 三田裕次@広島 寫道:

    >進駐軍以落後的美國規範強制日本採用・・・

    この方面については、鹿島建設社史が面白いのでは(私は門外漢ですが)。
    鹿島は進駐軍の理不尽な要求とも闘っていますが、同時に美国の制度も評価して取り入れているようです(例えばJ/V=Joint ventureなど)。

  8. 林炳炎 寫道:

    >進駐軍以落後的美國規範強制日本採用・・・

    有關這條是依據日本cement70年這書看到的, 日本人當然不會這樣講,
    非常含蓄的(原文已經不在我手上), 但比對兩國規範自然就看到上述的結果!!

  9. 林炳炎 寫道:

    株式会社 酒井鉄工所
    http://www.siw.co.jp/index.html
    1909酒井耐三が大阪市福島区西野田にて創業水圧鉄管の製作・据付を開始。

    sa001.JPG

    当社の技術
    送電鉄塔の基本設計・構造設計・各種解析研究
    経験豊富な技術員が、送電用鉄塔の基本設計・改造設計等に対応します。
    送電鉄塔の製造・製作
    鉄塔部材は、設計・現図工程で電子化されたデータを元に、ISO認証の専用工場で製作します。
    送電鉄塔のメンテナンス
    当社は昭和59年、業界に先駆け内視鏡による鉄塔部材内面点検技術を確立しました。

    nichigatsu137.JPG

    民間版的《台灣電力日月潭工事紀念寫真帖》137頁寫真有「門牌潭酒井鐵工所」,換句話說,酒井是大倉的下包。所以,壓力鋼管就是酒井的主業。

    nichigatsu132.JPG

    李三坤學長當副總經理時,酒井公司來拜會,送DM及9張酒井鐵工所在台灣的業績,如果不是酒井鐵工所自己提供,台電人員不太可能作出來。就全部做超連結,供大家使用。紙本及DM就存南港研究院。
    9張依原來裝訂次序呈現,表格有表頭抄錄如下:

    1. 水圧鉄管(壓力鋼管)1/9頁2/9頁

    2. ロ-ラゲ-ト(滾輪閘)3/9頁

    3. Flap Gate 4/9頁

    4. Slide Gate 5/9頁6/9頁

    5. 高壓滑動閘門 7/9頁

    6. Stoplog 8/9頁

    7. 蝶形閥 9/9頁

    版主註:
    1. 第1頁「新港發電所」詳1941/11/08《台灣日日新報》日刊04『港發電所昨日舉行地鎮祭』「新港築港擴張工事預算通過。新港發電所地鎮祭在7日正午新港公會堂舉行。新港的電燈是用日本水產火力發電。在東部電氣會社事業擴充,決定新水力發電計畫。」

    2. 第1頁「キナブカ發電所」1943,不知在那裡。(可能是公埔發電所)
    3. 第3頁「下達見發電所」=「青山發電所」。
    4. 第4頁「丸山發電所」=「圓山發電所」。
    5. 第6頁サカダン溪?

  10. 張榮麟 寫道:

    組長大人:
    有關屋頂桁架有一半以混凝土填充加固,一半沒有的怪現象,經過我這兩天跟組裡人討論,還是沒產生什麼合理的解釋,有推測經費不足的,也有推測是因為建築物縱深過長所以在弱軸加勁。我在猜想,會不會有兩種可能,第一,建築物的屋頂桁架部分損壞/或鏽蝕等,應整修後再用混凝土包覆保護及加固。第二,是否受原有機組/新設機組、常用/備用機組等影響,故在原有剛桁架屋頂僅能於備用機組上方施作混凝土加固,而常態運轉機組上方採以鋼板方式(乾式)加勁?唉壓~想破頭勒!!!

  11. 林炳炎 寫道:

    張兄
    這不能用猜測。如果猜測,那要舉證。除非舉證證明你的猜測是對的,否則沒有用啦。
    1. 有推測經費不足的
    【答】:不可能。大倉土木那個養pointer猟犬的傢伙,顯然是留學德意志的。那一點混凝土,他掏腰包也要補『經費不足』,不然,大倉土木招牌就毀了。設計是大倉土木,不是台電。
    2. 有推測是因為建築物縱深過長所以在弱軸加勁。
    【答】:不可能。從耐震的觀點,對稱才是耐震的保證。加勁也要對稱才對。
    3. 建築物的屋頂桁架部分損壞/或鏽蝕等,應整修後再用混凝土包覆保護及加固。
    【答】:不符2之原則。要加固保護要考慮對稱。
    4. 是否受原有機組/新設機組、常用/備用機組等影響,故在原有剛桁架屋頂僅能於備用機組上方施作混凝土加固,而常態運轉機組上方採以鋼板方式(乾式)加勁?
    【答】:備用機組上方施作混凝土加固>>>這5部機從完工以後,就很認真充當台電的鈔票印刷機,不敢怠惰。除非沒有水。屋頂結構是完工以後就是如此。從1905年營業用電開始,到1980年代核三完工前,台灣一直在渴電狀態。核三完工有短暫不渴電。

    除非,你找到確切文獻證明你的猜測存在。
    而且荒繆的是它挑戰921大地震成功,證明學校教的結構力學有很大缺陷。建議你要與結構組張承鎧課長討論,看他意見如何。

    這是結構力學puzzle

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