分類文章: ‘台電設施之歷史觀光’

台灣電力株式會社の社歌

2008-01-27

松木幹一郎社長就任後,對社員的待遇給予優厚,從業員功過記錄採一律主義,依才幹及努力情形分別適才適所,使組織有新的氣象。

為發揚愛社精神使公益事業的電力會社能發達,發揚愛社精神;而制定社歌與愛社行進歌曲。

社歌與愛社行進歌作詞之際,松木對歌詞非常重視,1939年5月3日松木發病前,親自參與歌詞的修改,二者皆為武田勉作詞,

原預定於台灣電力創立20週年紀念日時,全部從業員大合唱。歌詞作後,由陸軍戶山學校軍樂隊作曲。

左圖為社歌的歌譜scan影像。

社歌雖然才只有55年,但已有三種版本:第一種版本是松木幹一郎傳記所載,第二種版本是社友會名簿所刊,第三種版本是橫尾富子交給我的二錄音帶,錄音帶實 際所唱的是一、二取自松木傳記,三則為第二種版本。本文以錄音帶為主。

松木傳記的三,充滿軍國主義,戰後由原作者武田勉修改。

1945年以後,社歌即不在台灣電力會社內公開唱。

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銅像社長—松木幹一郎

2008-01-22

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江文也と台湾電力

2008-01-09

1934/04/05の台湾日日新報:ongaku.jpg

高工を出て  聲樂家に轉向 錦を飾る江文也君ongaku.jpgongaku.jpg

【基隆電話】夏期航海に入つての第一船朝日丸は、六百六十名といふ本年に入つて最初の大人員を乘せ三日入港したが、エンジニヤから方向違ひの聲樂家に轉向し、コロンビヤ專屬の歌手となって、久し振りに故鄉に錦を飾る淡水出身の江文也君は、伴奏の東京音樂學校講師永田晴氏と共に、三年振りに歸台した。東京に出て高等工業に入學し、兔も角卒業しました。在學時代から、山田耕筰先生の御指導を頂き、好きな道として可成りな勉強を續けましたが、卒業の後、先生のお勸めで、音樂に轉向して了つた次第です。大體二週間の豫定で島內各地の演奏旅行をやる心算です。

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桜の最前線--台中めいじの桜花

2008-12-31

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2007/12/27、台中へ行き、大甲渓建設所の台電事務所の会議参加しました。この台電事務所は日本時代の古い木建築です。飯後、にわを散歩していたら、さくらの花が咲いていました。めいじ(明治)の桜満開期は、多分3週後です。友だちが撮ったことし(2007年)の年初のさくらの写真は大変綺麗でした。めいじ(明治)の名物は温泉、台湾一です。私の少年時代、國民学校の宿舍に住んでいました、家の前には、さくらが有り、まいとし、大変好きなさくらが咲いていました。

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武界取水口工事—武界壩、洪水路、取水口

2007-12-29

wu1.JPG第一工區在武界,主要結構為武界堰堤(武界壩)、洪水路、取水口、第一號隧道、第二號隧道上半,由鹿島組承攬。

請讀者注意,引水隧道僅有一條,第一號、二號..是分段由承包商承攬。

第一工區平常看得到的結構物是武界堰堤、洪水路(排洪隧道)、取水口(進水口),由濁水溪的下游往上游看,正好由右邊往左邊排列,這些結構物正好阻絕濁水溪水的流向,而在其上游至姊妺原間形成貯水池(水庫),讓混濁的溪水沉澱,而後經取水口進入引水隧道而流入日月潭。

武界堰堤施工中、完工後的武界堰堤詳寫真。武界壩與洪水路、取水口有一作業隧道相通,在洪水路與取水口上方為控制室,內有64KW的武界發電所,每當颱風,就要起動以備不時之需,才能將閘門開啟。

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台灣電力日月潭工事紀念写真帖內の神社と神様

2007-12-21

nichigatsu114.jpg最近整理日月潭工事紀念写真帖,這是非官方版的写真,不同於以前看的台灣電力株式會社出版品,非常精彩。

發行所是台南新報埔里支局。裡面都是施工中写真,以往不清楚鹿島組、大林組、今道組、高石組、鐵道工業、大倉組這些公司如何施工,如今写真可以說明。

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台湾電力の神社(4)――武界の鹿島神社

2007-12-06

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1932年9月6日07版台湾日日新報の新聞武界北堤鹿島神社の堂宇建立「日月潭電力工事第一工區武界の鹿島組には此の度武界北堤工事場濁水渓右岸山上に鹿島神社の堂宇を建立したので、二日午後3時から埔里街の小池神官代理の手に依つて嚴肅に鎮座式を行つて、向後は北堤守護神として工事の安全遂行に靈驗いやちこであらうが完成後も、北堤かりでなく蕃地武界方面の守り神として崇められるとであらう。」

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台湾電力の神社(3)――門牌潭水力発電所の日月社

2007-12-05

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日月社は門牌潭發電所( 日月潭第一發電所 )の前面社宅內敷地內の高地に發電所工事の守護神として左の三体の神を祭祀せるものである。大山 祇神(オホヤマ ミスノカミ) 水波能賣神(ミズハノメノカミ)大雷神(オホイカチノカミ) (以上是《日月潭水力電氣工事誌》內の文字)

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台湾電力の神社(2)――玉島社

2007-11-29

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日月潭湖中玉島に建立せる玉島社にして水力電氣工事中の守護神して奉祀せるものである。(日月潭水力電氣工事誌內の文字)

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飛出籠子外—日本篇

2007-11-16

japan22.jpg1993年春完成《飛灰矽灰高爐爐石用在混凝土中》一校後,拋下一切俗務赴日觀光,讓京都的古禪寺、櫻花雪月洗除累積的壓力,過著閒雲野鶴日子。

在東京拜訪台灣文獻守護神張良澤教授(共立女子大學),他以畢生心力收集台灣文獻。知道我的來意後,叫我依年代查閱他整理好數十大冊書籍文獻摘要檔案,從大正11年往前往後查,在1926年檔案中,發現「火山灰」3個字,我像阿基米德一樣心中喊出「找到了,找到了」,他從書架上取下《台灣地質礦產地圖說明書》,在第222頁第三節火山灰中,發現了令人非常驚奇的事,它是一節完整的試驗報告,其內容竟然與現代的水泥砂漿試驗方法相類似,後來我發現此文出自藤澤國太郎、蔡寄桐 “台灣產火山灰試驗報告” 第1號,p25~35,1922.2.,比1937年ACI 33屆年會Davis等4人的飛灰研究報告早16年。

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東部3水力發電所—殘跡

2007-11-13

funlin1.jpg鳳林電燈株式會社

1922年成立會社,利用萬榮溪水力發電,是25KW的鳳林水力發電所,但同年即併入花蓮港電氣株式會社,該所1929年裝置容量增加火力10KW,1931年火力增為30KW,1938年只剩下水力,但51年來統計提要未記載此發電所資料,不知何時撤廢。

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East-West Tie Line & The next bite?

2007-11-09

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台灣電力的供應原分成好幾個電力島,但日月潭完工後,這些西部電力島變成販賣台灣電力的電之會社,最後就被台灣電力兼併。東台灣亦大致如此而形成東台灣電力。1944年花蓮的日本鋁廠未被炸毀而立霧銅門末被淹沒前,東部最大負載曾達31760KW,依日人開發計畫,在東部原計畫之各發電所興建完成後,除供應東部外,有大量剩餘電力可補助西部之不足。1944年已開始興建154KV東西聯絡輸電線,預定2年內完成。因迫於人工材料缺乏,在終戰前,完成線路測量、巡視路之開闢及木塔基礎之建築。此線路全長44KM,始於萬大發電所,終於銅門發電所,經過中央山脈海拔2820M,天長斷崖,工程相當艱鉅。

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